“自分で移動できることの価値”〜転倒許容がもたらす、“歩く”自由と楽しみの保証〜
対談者プロフィール
- 杉浦 太紀(株式会社マジックシールズ 取締役/理学療法士)― 理学療法士として病院で10年間勤務。入院患者の転倒と、それを防ぐための身体拘束や行動制限のジレンマを解決するため、衝撃緩衝床「ころやわ」の開発・普及に従事。「転倒骨折をなくす」というミッションを掲げる。
- 中辻 直美(エクセレントケアシステム スーパーバイザー兼施設長)― 看護師としてのキャリアを基盤に、独自のアセスメント手法と「ころやわ」の導入により「歩くことを妨げない施設」を運営する。
- 後藤 晴紀(プレミア東松戸 副施設長/介護福祉士)― 施設独自の「ケアインデックス」など、専門的なアセスメントに基づくリスク許容のケアを実践する。
- 大谷 匠(モデレーター・福祉と建築 代表/看護師)― 医療法人医王寺会にて福祉の複合施設を企画し、現在施工中。「歩きたくなる環境」とは何かを思案中。

なぜ今「転倒許容」を語るのか
大谷:本日はお集まりいただきありがとうございます。昨今、マジックシールズ社をはじめとした企業や業界団体の動きから、「転倒許容」をはじめとした「リスク=悪という考え方を問い直す考え方」が注目されています。この考え方が広まることは重要ですが、「なぜ自分で歩くことに意味があるのか」「歩いてもらうことの重要性」に焦点を当てて、もう少し議論を深めたいと考え、今回皆さまに集まっていただきました。今日は、「ころやわ」等のハードウェアと、ソフトウェアとしてのケア実践、そしてそれらを包み込む建築という三つの視点から、高齢者施設・住まいにおける「歩く」ことについて深めていきます。
歩くことを考えるために「転倒」を捉え直す
「転倒」と現場のジレンマ
杉浦:私は病院で理学療法士として働いていた頃、患者さんの転倒に非常に頭を悩ませていました。病院では安全が第一とされるため、転倒リスクが高い方にはセンサーを多用したり、時には身体拘束をせざるを得ない場面もありました。しかし、自由に動きたいという患者さんの願いと、怪我をさせてはいけないという業務の狭間で、常にジレンマを感じていたんです。
後藤:おっしゃる通り、転倒をゼロにしようとすれば、究極的には「動かさない」ことになってしまいます。しかし、身体拘束は心身機能を急激に低下させ、寝たきりを引き起こす原因になり、負のループに陥ってしまいます。
中辻:私の施設でも、かつては「転倒=悪」という空気が強く、ご家族からも「絶対に転ばせないでほしい」という要望をいただくことがありました。
「転倒」を捉え直す動き
大谷:ジレンマがある一方、昨今、「転ぶ」ことに代表されるリスクをマネジメントしつつも一定「許容」することで、暮らしの楽しみや自由とのバランスを重視する考え方が、現場に少しずつ広がってきているように思いますが、どうでしょうか。
杉浦:近年、日本老年医学会などの11団体が「介護施設内での転倒に関するステートメント」を発表し、「転倒予防に最大限取り組みつつも、老年症候群としての転倒を状況に応じて受容するための心象とのバランスが重要である」という考え方が、より強調されるようになってきています。この考え方は、ころやわが大切にしていることと非常に近いです。
後藤:このステートメントは現場にとって追い風になりました。それまでは転倒が起きると「なぜ防げなかったのか」という過失の追及にばかり目が向き、スタッフが萎縮してしまっていたんです。転倒を「完璧には防ぎきれないもの」と認め、その上で「どう怪我を防ぐか」「どう歩き続けるか」を議論できるようになったのは大きな進歩です。
中辻:私たちも、入所時の説明で「私たちは身体拘束をしません。その代わり、歩く意欲を支えるために転倒のリスクも共有させてください」とはっきりお伝えできるようになりました。
大谷:その上で、「ころやわ」は、転ぶことが問題ではなく骨折することが問題だと強調している点で、「転倒予防」ではなく「骨折予防」、さらに「骨折による心身機能の低下を予防する」という一歩先の話でもありますね。
自分で移動できることの価値
大谷:「転ぶことを防ぐのではなく、骨折や機能低下を防ぐ」から、「自分で移動できることの価値ってなんでしょう」という話に繋げたいと思います。私は、自分で移動できることは単なる身体的動作の遂行ではなく、自分の生活のリズムを主体的に作るために重要なことだと考えています。朝起きて、自分の足で洗面台へ向かい、食事の場所へ行く。生活のリズムをコントロールする根幹であると思います。
中辻:本人の「歩きたい」という強い意思がある以上、それをリスク回避のために安易に制限したくはありません。制限をかけることは、その人の可能性を摘み取ることと同じです。もちろん安全は大切ですが、自らの意思で行きたい場所へ行けるという実感が、日常生活の意欲の支えになります。
後藤:自力で移動できることで、少しでも「できること」を増やし、施設内での役割を持ってほしいという願いもあります。新聞を取りに行く、観葉植物に水をやる。そうした小さな活動を通じて、誰かに感謝されたり役に立っていると感じたりすることが、生きる意欲に直結します。加えて、移動の自由はコミュニケーションも変えます。人に会いたい時には会いに行き、一人になりたい時は離れる。人間関係の距離感を自分の意思で調整できることが重要だと思います。
大谷:ありがとうございます。話しながら、「ついつい歩きたくなる」シチュエーションや空間を作っていくことも重要だと思いました。「歩くのが目的」ではなく、目的地の魅力に惹かれて「ついつい」歩いてしまうような仕掛け。そうした「歩きたくなる」デザインも必要な視点ですね。

歩くことを支える専門職の目線
「歩く」という動作を理解し支えるためには、足腰だけでなく、歩くことを成立させている多様な生理学的機能の理解が必要です。視力や呼吸器機能の低下、爪の変形や肥厚などが歩行にどう影響するかを理解することで、介護実践に創意工夫が生まれやすくなり、チーム内で「良いケアとは何か」の議論もしやすくなります。
後藤:弊社ではアセスメント(評価)による「ソフト面での歩くことの支援」に力を入れています。独自の「ケアインデックス」という指標を用いて、入居者一人ひとりの生理的な機能だけでなく、精神状態や「なぜ歩きたいのか」というニーズを深く掘り下げます。例えば、夜間に何度も歩き出そうとする方がいたとき、単に「危ないから座っていてください」と言うのではなく、排泄の感覚があるのか、何か不安があるのかをアセスメントし、その方に最適な環境やタイムスケジュールを組みます。
中辻:まさにそうですね。アセスメントという「ソフト」がなければ、いくら「ハード」を整備しても不十分です。なぜこの人は歩くのか、歩くことを困難にさせている要因は何かという検討があって初めて、「ころやわ」等の手段もその価値を発揮します。付け加えると、実は「靴」の状態も重要です。現場では、1年も2年も同じ靴を履き続け、裏がツルツルに摩耗している入居者様が少なくありません。これではいくら本人の意欲があっても転んでしまいます。建築等の空間的な環境を整備すると同時に、こうした足元の細かなアセスメントを徹底することが、移動の価値を守ることに繋がります。
※エクセレントケアシステム社は独自の転倒アセスメントツールを使用。「認知症」「行動障害」「既往」「感覚」「運動機能」「活動領域」「薬剤」「排泄状況」の8分類・38項目からアセスメントを行う。
心象のバランスを考える
後藤:アセスメントに基づいたケアを実践する上で欠かせないのが、ご家族との合意形成です。契約の際、私たちは「うちは転倒しますが、寝たきりにもしません」とお話しします。転倒のリスクを隠すのではなく、どのようなアセスメントを行い、どのような対策(手すりの設置や靴の選定など)を講じているかを具体的に示す。そのプロセスを共有することで、万が一転倒が起きてしまった時も、共に最善を尽くした結果として受け止めていただける信頼関係が生まれます。
中辻:私の施設では、大腿骨を骨折して退院してきた入居者の方に「ころやわ」の導入を提案しました。コストはかかりますが、再骨折して入院する費用やその後のADL低下を考えれば、ご家族も納得してくださいます。導入して3年、何度も転倒はありましたが骨折は一度もありません。重要なのは、適切なアセスメントをもとに、その人にあった策を提案できているかという点です。
大谷:ころやわの特徴についても教えていただけますか。
杉浦:現場のジレンマを技術で解決したいと考え、開発したのが衝撃緩衝床「ころやわ」です。最大の特徴は、「歩く時は硬く、転んだ時だけ柔らかい」という特性です。柔らかすぎる床は足元が不安定になり歩行を妨げます。特に高齢者の方はすり足で歩くことが多いため、床が沈み込むと躓きの原因になります。「ころやわ」は、通常時はフローリング床と同等の硬さを保ち、転倒時の強い衝撃が加わった瞬間にだけ形を変えてエネルギーを吸収します。これにより、歩きやすさと骨折予防を両立させました。
大谷:導入後の具体的な変化はどうですか。
中辻:導入して3年、私の施設では「ころやわ」の上で転倒した方が何人もいますが、骨折は一度も起きていません。これが何よりの成果です。スタッフの意識も変わりました。「あの方は転びやすいから目が離せない」という過度な緊張感が、「もし転んでも怪我をしにくい環境がある」という安心感に変わり、よりご本人の意欲を尊重したケアができるようになりました。
「歩く選択肢が守られている風景」
中辻:歩くことを過度に制限しすぎないことで、廊下を歩く(移動している)人が増えました。以前は「危ないから車椅子で」となっていた方が、自分の足で、あるいは歩行器を使って自由に移動しています。ご本人が「自分の意思でトイレに行ける」という自信を持つと、表情が明るくなるんです。
後藤:私の施設でも、以前は「何もしないことが安全」という風潮になりかねない状況もありましたが、今は違います。最期までその人らしく過ごすために、リスクを承知でやりたいことを支える。その活気はスタッフのモチベーションにも繋がっています。
杉浦:「ころやわ」を導入した施設の写真を見せていただいたことがありますが、入居者の方が廊下で立ち止まってお喋りをしたり、自然な交流が生まれている。それは「歩く」という選択肢が守られているからこそ見える風景ですよね。
本対談では、「転倒をリスクとして排除する」従来のアプローチから、「歩行の継続による尊厳と自律を支える」考え方が議論されました。「ころやわ」のような衝撃緩衝床(ハード)は、転倒そのものを禁忌とするのではなく、重篤な骨折や機能低下を防ぐ基盤となります。しかしハードだけでは不十分であり、生理的機能や入居者の「歩きたい」という意欲を深掘りするアセスメント(ソフト)、そして「ついつい歩きたくなる」空間設計(建築)が三位一体となって機能する重要性が示唆されました。「転倒許容」とは決して放置ではなく、専門的な評価に基づき、家族との合意形成を得た上で行う「攻めのケア」です。今後、ケアと技術、空間がより密接に融合することで、最期までその人らしく動き続けられる豊かな暮らしの実現が期待されます。
PR:ころやわ(株式会社マジックシールズ)

ころやわは、理学療法士の視点から開発された、歩行の安定性と転倒時の安全性という相反する機能を両立した世界初の衝撃緩衝床です。独自の構造により、歩行時には一般的なフローリング床と同等の硬さを維持してふらつきを抑える一方、転倒などの強い衝撃が加わった瞬間のみ形を変えて衝撃を吸収し、大腿骨骨折のリスクを大幅に低減します。「転倒による怪我を防ぎたい、けれど身体拘束はしたくない」という現場の切実なジレンマに、テクノロジーで応答しています。
社会的処方EXPO2026
福祉と建築は、一般社団法人プラスケアが主催する社会的処方EXPO2026にて、「参加と居場所のデザイン」と題して、トークセッションと展示企画を行います。テーマは『居場所はデザインできるのだろうか』。日時:2026年3月15日(日)11:00(開場10:30)〜20:00 会場:川崎市コンベンションホール(JR南武線・東急東横線 武蔵小杉駅 徒歩4分)。
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